金山寺味噌の由来については諸説ありますが、なかでも有力とされているのが和歌山県由良町にある興国寺へ伝わったとされるものです。
鎌倉時代 建長元年(1249年)に宋(今の中国)に渡った法燈国師が「径山寺味噌」を日本に持ち帰り製法を伝えました。法燈国師は由良町の「興国寺」を建立した僧、「心地覚心」のことです。その後、交通の便も良く、また水質が味噌醤油の製造に適していたという湯浅町やその他の地域に伝えられ、以来親しまれてきたとされています。
また、和歌山県・高野山真言宗の開祖、空海(弘法大師)が、遣唐使として入唐・勉学の折、(835年11月長安入り)唐の金山寺から持ち帰り、高野山開創後、大勢の修行僧を養う「僧坊食」として用い、その後修行僧が各地に広めたとされる説があります。
当時の金山寺味噌は、水分が多いものだったと言われます。金山寺味噌の製造の際には樽底に沈殿した液汁がたまります。これをすくい取って舐めてみるとこれが美味しかったことから、試しにこれを調味料として煮炊きに使ったところ大層旨く、その製法が発達してきたのが、醤油の起源であると云われています。